一食献上運動 『我一飯をのこして人の飢をすくふのこころ』

一食献上運動

(いちじきけんじょううんどう)

 
 

我一飯をのこして人の飢をすくふのこころ
(われいっぱんをのこしてひとのうえをすくうのこころ)
 

神道禊教 ご教祖 井上正鐵大人


 
  (2011.03.12)



『一食献上運動』 我一飯を捧げて人の飢えを救うのこころ


我一飯をのこして人の飢をすくうのこころ   『唯一神道問答書・書継・麁食少食』

ご教祖井上正鐵大人が宗教者としての歩みを始められ立教までの白川家でのご修行をされていた時、天保四(1833)年から天保十(1839)年、国では天保の大飢饉が起こっていました。未曾有の餓死者が出たその時代を、ご教祖は生きておられたのです。そしてそのご経験から生まれた御教えをお立てになられたのです。その経験から生まれた宗教者としての活きた言葉がこの「我一飯を捧げて人の飢えを救うの心」という言葉です。
   
1974年、WCRP (世界宗教者平和会議)ベルギー・ルーベン大会が行われました。その時このご教祖の御言葉から平和の為に一食を捧げ一欲を節する「一食平和運動」というのが世界へ向け発信され、世界運動としてそれが実行され難民を救っていく基となりました。
   
私たちは日々の暮らしに安心し、それが当たり前になり、惰性に陥ってしまうと「感謝・御礼」が出なくなります。しかし逆に信心の質が高まると今まで当たり前の事が有難いことに変わるのです。 「当たり前の心」を「有難い心」へと変えてくれるチャンスは実は三度三度の万人に共通の食事にあります。世の中の人々が幸福になるために自らの半膳を捧げることが大切なのです。万人が食をとらない人は一人もおりません。その一食献上という心を以て食事をすることこそが大切なのです。
   
民族の物の捉え方考え方は全て神話に語られています。古事記の神話は今の私たちに、多くの試練を乗り越えて成長することの大切さを教えてくれています。赤ん坊が自分のご飯ご飯と言っていたのが、子どもになれば母親を助けお手伝いがしたいという思いが芽生え、大人になれば、社会の為国の為世界の為にとより大きく外へと心は動いていく、これが成長です。「公」という「為に生きる」生き方を国全体で思いだしていきたいと思います。

「我一飯を捧げて人の飢えを救うの心」を今こそ奮い立たせ、私たちは「一食献上運動」を世へ発信してまいります。 


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